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今日は、日本建築学会が主催の緊急シンポジウムに行ってきた。
テーマは「東京・大阪中央郵便局の文化財的価値」。
この問題の概要をざっくりと。
東京中央郵便局(1931年)は、吉田鉄郎設計による近代合理主義の傑作と言われる建築。
重要文化財の水準をはるかに超える価値を持つ(学会声明)にも関わらず、
日本郵政は高層ビル化する開発を進めている。
鳩山総務大臣が、「トキを焼き鳥にして食べるようなものだ」と発言。
各方面からの反対運動などを受けて、日本郵政は3月13日に、
『建物のファサードの3割を残す』と譲歩し文化庁と合意、一時休止していた解体工事が再開された。
さらにざっくり書くと、
一企業がお金儲けのために、国の大事な建物を壊して建て直そうとした。
「重要文化財級の建物だから保存して」という各方面からの反対に対して、
「大事なとこを少し保存するから、許して」とゴリ押しした。
てこと。
なんでこういうことになるのか。
それはもう様々な法律やシステムや裏事情が絡み合ってのことなんだけど、
一言でいうと、
「経済的価値に対して、文化的価値に対する意識レベルが圧倒的に低いこと」
である。つきつめると結局はこれ。
この意識レベルをアップさせる魔法があれば、
日本の住環境や都市環境が、一気に良くなる。
でもそんな魔法はない。
方法は二つしかない。
①文化的価値を、経済ベースに乗るように変換すること。
②文化的価値に対する意識レベルを底上げすること。
今日のシンポジウムに参加して、結局②を丁寧にやることしかないのかもな、と思った。
①は単発の問題解決には有効だし、翻って②に繋げることもできる。観光産業のように。
でも、長期的には②が浸透しない限り、いつまでたっても中央郵便局のような問題は出てくる。
一個人、一企業が、経済ベースの他に文化ベースというものさしを持てれば、
日本はもっといい社会になるのに。
今回のケースについて一つ付け加えると、
中央郵便局は、例えば寺社仏閣や茅葺き集落のような「分かりやすい」価値を持ってはいない。
当時の合理主義の建築様式がシンプルで質実剛健なものだったため、
一見すると変哲のないただの古びたビルにも見える。
だけど、
じっくりその前に立って70年の丸の内の歴史を想像したり、
吉田鉄郎の人生や当時の建築文化を少し紐解くと、
この建物の価値を感じることができると思う。
(メディアや有識者が、もっと価値の翻訳に努めるべきだとも思う)
あたり前のことを書いたけど、
このブログを読んでくれてる人が、少しでも建築の保存問題に関心を持ってくれればと思います。
事情は絡み合ってるし、いろんな考え方・見方がある。
だけど、建築は壊れたらおしまい。
お金とちがって、取り戻したり穴埋めしたりできない。
東京中央郵便局ーWikipedia
東京中央郵便局の再開発問題ーYahoo!ニュース
東京中央郵便局ー東京の建築遺産50選
中央郵便局庁舎に対する歴史的価値に関する見解ー日本建築学会緊急声明
中央郵便局庁舎保存要望書ー日本建築学会
昨日ここで書いたCCTVの件、
正確には、燃えたのはCCTV(中国中央テレビ)の一施設であるTVCC(中国文化放送)のビル。
今日の報道では、まさに「亡骸」のような姿が映されていた。
槻橋修さんのブログでもこの件について言及されていた。
以下、一部転載。
「・・・建築が生き物でないことは分かっているが、TVCCの冥福を祈りたい・・・」
建築というのは、単なる物質の集合ではない。
今秋にオープンを控えていたこの建築には、ここに至るまでに、
10年近くの時間や、何万人の手、膨大な想いと期待が集積されてきた。
完成してから何十年の人生(?)をあたりまえの前提にして。
そういう点で、建築はある意味生き物だ。
これだけの高層ビルが全焼する事態はWTC以来じゃないだろうか。
建設中という点で言えば、前代未聞の出来事だ。
映画のセットのように噴煙を上げるこの姿を、
プロジェクトに関わった人達はどういう思いで見ていたんだろう。
若くして亡くなったこの建築は、何億もかけて解体されるしかない。
偶然北京に滞在していた友人は、燃え尽きた今朝の様子を、
「産まれたてのクジラが亡くなったような姿だった」と伝えてくれた。
一方報道では、CCTVの幹部が、
自分達が違法花火を持ち込んで打ち上げたことが原因、と謝罪会見をしていた。
なんともやるせない。憤懣遣る方無いとはこのことかと。
コールハースのいつもの切れ味で、
この切ない状況をガラッと鮮やかに華やかに、展開してくれないかな。。。
今はまずとにかく、TVCCのご冥福を祈りたい。そういう気持ちだ。
モノとしてはそんなに目新しさはないんだけど、
実際に事業としても製品としても練られていて、
サイトからは購入することもできる。
この事業主が、ルーヴィスというリノベーション専門の不動産会社。
事業計画から設計施工までやってしまう会社で、
僕としてはこっちの方がわくわくした。
帰り道、中目黒の交差点で変なものを見つけた。
街路樹が立っていた跡。
道路の拡幅計画があるのか、木が病気になってしまったのか、それはわからないけど、
ここに木が立っていたっていう跡だけがこんな形で残っているのは、
あからさまでそっけなくて、なんかちょっと切ない。
田村さんの別荘にて、おいしいすき焼をいただいた後に建築系ラジオの収録。
建築系ラジオは、五十嵐さん、松田さん、南さん、山田さんの4人をコアメンバーとして、
podcastで配信されている新しい建築メディア。
これまでに40程の番組が様々なテーマで配信されています。対談形式、レクチャー形式がメイン。
雑誌と違う面白さがあります。聞いたことがない方はこの機会に是非。
で、この日は、「建築系ラジオの今後の展望」「新堀学さんによる安藤忠雄論」などの他、
僕も参加している、NPOの下田での活動についての取材が収録されました。
といっても、飲みながらの適度にゆるい雰囲気。
僕もほんのちょっと喋ってます。
夜通しの建築談義はとても刺激的で濃い。
翌日、まずMOA美術館へ。
ここは某宗教団体が母体の美術館で、潤沢な資金を生かしたコレクションと建築が特徴的。
設計は竹中工務店。
なんだかヨーロッパの美術館みたいな贅沢なアプローチ。だけど内部空間は退屈だった。
それより、思いがけず出会った北斎の富岳三十六景。
ここには全部あった。すごい。
僕はあまり美術作品をちゃんと見る方じゃないけど、これは、一枚一枚丁寧に楽しんだ。
素直に、すごいなー、きれいだなー、と思った。構図も、アイデアも。
しかも1891年の一年間だけで、これだけの仕事をしてる。
このあと熱海を通って真鶴の中川一政美術館へ。設計は柳澤孝彦。
展示空間は特に何ともだったけど、ボールト天井のある廊下がなかなか良かった。
熱海は初めてちゃんと歩いた。海沿いからぐっと高台がせり上がる。
この地形を生かし、風景を楽しむ(それと温泉と。)別荘が昔からたくさんある。
写真は吉田五十八の杵屋別邸。
中には入れなかったけど、このとんがり屋根はかっこいい。
内部は居間だろうか。
車での移動がほとんどで、僕が運転手をしていたんだけど、
助手席に座っていた美術家の彦坂尚嘉さんの話がほんとに面白かった。
色んな話をしていただいたけど、すごく腑に落ちたのが、
「一流」と「それ以外」との違い。
一流のもの(芸術でも企業でも言葉でもなんでも)は、一流の人間から生まれる。
一流の人間っていうのは、
「社会的観念とは別の軸で独自に醸成された個人の思想・歴史」を持った人。
ていうお話。
社会的観念の外に出るのはとても難しい。
だって、社会の教育を受けて、社会の中で生活して、社会の恩恵を受けて生きてるわけだから。
個性は誰にでもあるものだけど、それを思想や哲学のレベルまで引き上げて、
さらに蓄積・醸成を続けること。
こうして初めて、いわゆる「いいもの」をつくることができる、という話。
ただ、面白いのが、ここで技術や経験が必ずしも重要ではない、ってこと。
彦坂さんも以前、ある女の子(ぜんぜん芸術畑じゃない人)の人間的な面白さに目を付けて、
少し絵を教えて描かせたら、すばらしい絵ができあがったらしい。
つまり、内容は手段があれば外に出る(表現される)けども、
表現されなくてもその人の中に存在はするということ。
彦坂さんの芸術についての言説はとても面白いので、
興味のある方はブログを読んでみるといいと思います。
うわ。すっごい長くなった。
まあそんな感じで、すごく濃い2日間でした。
もう一週間前の話になっちゃったけど。
11日、12日と箱根に行ってました。
NPO地域再創生プログラムのレクチャー+新年会、及び、箱根&熱海の建築巡り、
さらに建築系ラジオの収録ということで、とても賑やかな会でした。
NPOのメンバー、レクチャーゲストの五十嵐太郎さん、
建築系ラジオのコアメンバーである山田幸司さん、南泰裕さん、松田達さん、
熊本で弧風院の活用に携わっていた浜田由美さん、総勢14名で箱根建築巡りから。
富士屋ホテルは僕の好きなキッチュさ。
技術的にも、材料のグレード的にも、空間のグレード的にも、7割出しな感じ。
その無名性というか力の抜け具合というか、何も背負ってない気楽さが心地よかった。
竹山聖が80年代のバブル全盛期につくった高級旅館。とても妖艶な空間だった。
その時、竹山聖は34歳。今の僕と4つしか違わない。
その時代の力があってこそできた建築には違いないけど、
この質感やディテールの妖しさを、なんでこの歳で出せるんだろう。
バブルの力と、建築家のいい意味での若さが奇跡的に融合した感じ、
この時代にしか生まれない建築だな、と思った。
続いてポーラ美術館へ。
ここを訪ねるのは3度目。来るたびに感動が薄れる。
きれいで緊張感があるんだけど、その先がない。
だけど、アプローチはいつ来てもワクワクする。
うっすら雪が積もったスロープは背の高いヒメシャラの枝振りに覆われていて、
その幹をかきわけるように、小さなエントランスに向かっていく。
地形に半身を埋めた建物に「お邪魔します」という雰囲気の、
次に向かったのは村野藤吾のプリンスホテル。ここも初めて。
同行していた全員が「ああ、いいね」とほっとするような、純粋な建築芸術。
村野藤吾の作家性がのびのび展開している空間だった。
僕は村野建築自体が初めての体験。
「社会性のある建築」と「いい建築」というのがやはり別のベクトルを向いてることを実感して、
妙な空しさと混乱を感じる体験でもあった。
直前に訪れたポーラと比較すると、この厚みの違いは何なんだろうと考えさせられる。
このあと、田村誠邦さんの別荘に移動し、
お酒を飲みながらの建築談義。
様々なテーマで建築系ラジオ数回分の収録も行われ、密度の濃い時間。
この模様は明日また書きます。
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全然関係ないけど、今日コンビニで納豆巻きを買った。
「昆布ダシでさらにおいしく」というフレーズに惹かれた。
それを一口かじったところで、事務所のスタッフの会話にちょっと参加した。
そのとき納豆巻きは僕の口の中、左ほっぺたの内側に一次退避してた。
会話が終わって、退避してた納豆巻きを食べようとしたら、
海苔がほっぺたにくっついて離れなかった。
乾燥した海苔は毛細管現象で内ほっぺたの水分を吸って、一体化していた。
むりやり食べようとしたら、内ほっぺたのやわらかい皮が一緒にはがれた。
痛かった。血が出た。
みなさん、納豆巻きを食べる時はくれぐれもご注意を。
これはすごいです。
建物に何台ものプロジェクターで映像を投影するパフォーマンス。
もの凄く緻密に計算されていて、実像か虚像かがわかんなくなる。
Easyweb.frってサイトで公開されてるんだけど、これがアーチストなのかどうかは不明。
http://www.easyweb.fr/indexenglish.html
ところで昨日の夜、
高校の友達に「ワサビを水で溶いて煮詰めると柚子胡椒になるよ。」と教わる夢を見た。
起きてテレビをつけたら、料理番組でタレントがブリの切り身に柚子胡椒を挟んでた。
この偶然にビックリだし、夢のくだらなさにもビックリだ。