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先日、日本橋を歩いた。
東京に来て8年が経つけど、この辺りはほとんど歩いたことがなかった。
タイトルは日本橋近辺の町の名前。
兜町、蛎殻町、人形町、小舟町、小網町、
みんな頭に「日本橋」が付く。
楽しげな地名、ストレートな地名。
今も昔も、金融、先物取引の中心地、
そんな歴史の背景もあるんだろう。
神田川が隅田川に合流するあたり。
首都高が覆っている。
良し悪しは置いといて、とても東京っぽい光景。
きれいな屋外避難階段。
昨日から続く鼻炎で今日はへろへろ。
鼻炎の薬は諸刃の剣。
服用すると、喉は乾くし、眠くなるし、体はカサカサ、へろへろになる。
どっちのへろへろを選ぶか。
今回は薬を選んでへろへろ。
昨日から続く鼻炎で今日はへろへろ。
鼻炎の薬は諸刃の剣。
服用すると、喉は乾くし、眠くなるし、体はカサカサ、へろへろになる。
どっちのへろへろを選ぶか。
今回は薬を選んでへろへろ。
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『湘南ひらつか七夕まつり』の七夕飾りを作っています。
前回の記事でもちょっと書きましたが、この祭り、
市内に3000本の飾りが並び、
特にメイン会場の商店街「湘南スターモール」には、豪華絢爛な80本の飾りが揃います。
僕が関わっているのが、この80本の中の一つ、
地元でずっと愛されてきたラーメン屋さん「花水ラオシャン本店」の飾りです。
ここの大将が祭りの衰退を嘆き、
「かっこいい飾り作ろうぜ!」と始まったのが今回のプロジェクト。
通常は専門の業者に外注する飾りを、
大将のキャラに惹かれて集まった有志で手作りしています。
全部で50人くらい集まってるんじゃないだろうか。
まさに心意気で祭を盛り上げている。
飾りのデザインの中心になっているのは、
僕のA.A.E.の時の上司でもある、渡邊さん(渡邊修一級建築士事務所)。
それからケムリデザインワークス/nico cafeの和田さん。
畳サイズの提灯15個に龍神を描いています。
一週間後には、この通りが飾りで埋め尽くされます。
楽しみ楽しみ。
最近は、
ワールドカップに興奮しつつ、
坂本龍馬効果で盛り上がる下田でのイベントを構想しつつ、
昨年に続く『家づくりワークショップ2010』を準備しつつ、
色んな案件に妄想逞しくしつつ、
ティンバライズ展やルーシー・リー展に感動したり、
宮崎での間伐材活用に案を練ったり、
国分寺を散歩してつくし文具店やフジカワエハガキといった素敵なお店を見つけたり、
家の簾を新調したりジャケットを染めたりカバンにペンキを塗ったり、
iPhone4を予約してみたり、
あー、マラドーナはキュートだな。
先日、平塚の街を歩いた。
思ったより大きい街でびっくり。
そして商店街がとても充実している。
この街で7月1日から「湘南ひらつか七夕まつり」が始まります。
なんと今年で60回目。
日本の三大七夕祭りの一つ。
商店街の両脇から巨大な七夕飾りが伸びて、賑やかなトンネルを作ります。
その中の一つ、特に大きい飾りのデザイン及び制作に参加しています。
平塚の街を歩いてて気付いたこと。
駅前を中心に賑やかな通りが数本走ってるんだけど、
建っている建物の年代が幅広い。
新しいマンションもあれば、古い洋風のファサードを持ったビルもあれば、
板貼りの木造の商店もある。
それが、みんなさらっと並んでいるのだ。
風景が持つ時間の幅が広い。
東京と比べて。
都市部は場所に対するニーズが高いから、必然的に更新率が高くなる。
比較すると地方では当然更新率は低くなる。
思えば、この感覚は地方に行くといつも感じていた。
地元の金沢に帰る時も。
一方、京都では感じない。
その違いは、「残っている」のか「残されているのか」の違い。
当たり前のことなんだけど・・・
この「時間の幅(を持った風景)」を、なぜ僕らは「豊かだ」って感じるんだろう、
と考えると、
結局それは「多様性の正しさ」なんだ、と気付いた。
『時間的に多様な風景』。
地球の生物に多様性が必要なように、
組織の中で多様なキャラクターが必要なように、
僕らの食事に多様性が必要なように、
「多様性」という概念には、人間の根源的な豊かさが含まれている。
で、それは、時間軸においても適用されることなんだ。
古い建物や街並そのものが大事なわけじゃない。
新しい建物への更新そのものが悪いわけじゃない。
時間的な多様性が大事なわけで、それが失われることが問題なんだ、と。
もう全く当たり前のことを言ってるんだけど、
これは僕にとって少し大事な発見だった。
今、最近良く行く荻窪の6次元というカフェで、
中村文具展が開催されています。
昭和21年創業、平成22年閉店の中村文具店、
その倉庫から発掘された垂涎モノの文房具たちが並んでいます。
カウンターには最新の文房具であるiPadも。
古いモノはそれ自体が長い時間軸を持っている。
僕らはその軸の好きなところに意識をプロットすることができる。
その体験が豊かじゃないわけがない。
そういうことなんだな。
今日はGSDy(Groundscape Design youth)のシンポジウムが面白そうだったので東大へ。
「地方におけるデザインとは?」というテーマで、
長野県下條村の伊藤喜平村長と、studio-Lの山崎亮さんがパネラー。
備忘録的に。
・都市の幸福論と地方の幸福論は違う。
地方の人達は東京的幸福を求めがち。
そこで地方的幸福を分析し気付かせることが重要。
そこからその場所での幸福の在り方へ住民が正しく向かうことができる。
・よそ者としてマネジメントに徹する
山崎さんのスタンスはあくまでよそ者。対象地域に根を張って行うべったり型地域再生とは違う。
「5年で去る」を基本にしている。その間でいかに住民の自立を促せるか。
・地縁的コミュニティとテーマ型コミュニティ
老人会、青年会、町内会、これらは地縁的コミュニティ。これに対して、
例えば「○○が好きな人」の集まりがテーマ型コミュニティ。
この違いは、「義務」と「任意」の違い。
テーマ型コミュニティのマネジメント、そのコンテンツを用意することが重要。
・「楽しそう」が一番
誰かが楽しそうなことをやっていれば、人が集まる。「いいなぁ」と思う。
そこからコミュニティが広がり、成長する。
これは当たり前のようで、見失いがち。
関わる住民が楽しそうであること、
そして、入り込んでいる僕ら自身が楽しそうであること。
ここ最近僕は「愛着」というものについて考えている。
またの機会にゆっくり書きたいけど、
いま、何を作るにも、何に手を加えるにも、何をフューチャーするにも、
「愛着」は重要なファクターになってくる。
特に日本においては。
ちょっと大きな話になるけど、
「愛着」の喪失と渇望が、社会の様相の根底にある。
今回のテーマである『地方におけるデザインとは?』にとっても重要なキーワード。
それを再確認できた。
愛着をマネジメントするのがこれからのデザイナーの一つの仕事だと思う。
少なくとも僕にとっては大きなテーマ。
来月開幕する上海万博ですが、数ある各国パビリオンの完成写真が公開され始めています。
その中でもイギリス館が、ものすごい。衝撃的。
数年前にプロジェクトがCGで発表された時に「なんだこれっ!?」って思った衝撃そのまんま。

これ、どうなってるかと言うと、
箱状の空間に、こんなアクリル棒が無数に突き刺さってるわけです。
アクリル棒の室内側先端には、様々な植物の種が埋め込まれています。

アクリル棒は光ファイバーの様に外部の光を内部に導きます。星空みたい。
同じように、夜になると内部の光が外に漏れて、ほわほわした光の玉になる。

どんだけ見ても信じられなくてCGじゃないかと思ってたんですが、
この映像を見て、実際の姿だと納得。
風に吹かれて、ふわふわ揺れている。
いやー、すごい。
建築物なのにくっきりした輪郭がない、ってのが何よりすごい。
デザインはThomas Heatherwickによるもので、
彼は素材やスケールやシステムの枠を軽々飛び越えるような作品をたくさん作っています。
これなんかもすごいです。
写真はPlataforma Arquitecturaより
その中でもイギリス館が、ものすごい。衝撃的。
数年前にプロジェクトがCGで発表された時に「なんだこれっ!?」って思った衝撃そのまんま。
これ、どうなってるかと言うと、
箱状の空間に、こんなアクリル棒が無数に突き刺さってるわけです。
アクリル棒の室内側先端には、様々な植物の種が埋め込まれています。
アクリル棒は光ファイバーの様に外部の光を内部に導きます。星空みたい。
同じように、夜になると内部の光が外に漏れて、ほわほわした光の玉になる。
どんだけ見ても信じられなくてCGじゃないかと思ってたんですが、
この映像を見て、実際の姿だと納得。
風に吹かれて、ふわふわ揺れている。
いやー、すごい。
建築物なのにくっきりした輪郭がない、ってのが何よりすごい。
デザインはThomas Heatherwickによるもので、
彼は素材やスケールやシステムの枠を軽々飛び越えるような作品をたくさん作っています。
これなんかもすごいです。
写真はPlataforma Arquitecturaより
James D. Griffioen というフォトグラファーのferal housesというシリーズ。
野生化した家。
以前、アメリカの廃屋写真集をここで紹介しました。
それと比べると、こっちはきっと周辺一帯こういう光景になってて、
集落ごと埋没してる感。
他のページもなかなかステキ。
先日読んだ松岡正剛の本の中に、バーナード・ルドフスキーが来日した際の話があった。
彼は日本の廃屋に感銘を受けたそう。
日本の廃屋は、他国のそれと全く違うと。
「住んでいた人の息づかいが、家のすみずみに残っている。
空間が気配に満たされている。」と。
調べていたら、その時のことがここにも書かれてた。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0486.html
『キモノ・マインド』はそういえば未読だった。読まなきゃ。