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しばらく本日記をつけてなかったので、
最近読んだ本を備忘録的に。
隈研吾「Studies in Organic」
気付いたらこれまで、隈さんのテキストをあまり読んだことはなかった。
特に自作についての言及など。
コンテクストと作品が比較的直結しているので、
その間にあるものに興味が向かなかったのかもしれない。
この本は、装丁がきれいだったので読んでみた。
隈さんがこれまでの作品を振り返りながら、
思想の変遷を回顧している内容。
印象に残った言葉を3つ。
・・・物質のシルエット(=形態)を扱っているわけでもなく、
物質の細部をデザインしているわけでもなく、
物質のあり方をさぐっているのである。
物質と人間の身体の関係性をさぐっているのである・・・
・・・身体という概念を用いて建築を考えはじめている自分に気がついた。
身体を用いるとは、身体のメタファーとして建築と形態を考えることではない。
身体に対して出現する現象として、建築のことを考え始めているのであった・・・
・・・生物は行為としてしか存在しえない。
死体となってしまってはじめて、形態として存在する・・・
意外だった。
というのも、僕は隈さんの意識は「現象」に対してドライだと思ってたから。
でも同時に、なるほどなーとも感じた。
きっと隈さんの意識の対象は「身体に対してあらわれる現象」であって、
「身体を介してあらわれる現象」ではないのだ。
つまり、
隈さんにとってのテーマは建築(或いは物質)の知覚・認識に対する働きかけであって、
その先にあらわれる経験・体験に対しては、一歩引いている。
これは微妙な違いのようで、言葉のアヤのようで、
でも実は、その思想が空間として立ち現れた時には、きっと大きく変わってくる。
隈さんの建築に感じる「輪郭があるウェットさ」って、そこにあるんじゃないだろうか。
隈さんの建築からあらわれる現象ってのは、なんだかいつも、手で触れそうな気がするのだ。
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