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イタリアピニンファリーナのチーフデザイナーを務めたこともある
奥山信行氏のインタビュー記事が、
すごく興味深く勉強になったので、
丸々転載します。
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フェラーリが創業55周年を記念して発売したエンツォ・フェラーリをデザインした奥山清行氏は1月18日、東京・六本木のアカデミーヒルズで講演、デザインを切り口にものづくりの現在を語った。
工業デザイナーの奥山清行氏
伊ピニンファリーナのデザイン総責任者としてクルマをデザインしていく上で、奥山氏はイタリアのものづくりのあり方に感銘を受けたという。世界の多くの地域では、クルマの模型を作る際に粘土を使うのだが、トリノでは硬化剤を混ぜると、固くなって木のような特性を持つ“エポウッド”という素材を使っている。エポウッドで模型を作ると削ることしかできず、粘土のように盛ることができないのだが、「小細工ができない道具を使うことで逆に、クルマの表面に緊張感を生み、きれいなプロポーションにすることができる」(奥山氏)。
また、奥山氏はフェラーリの販売方式にも感銘を受けたという。フェラーリでは2002年にエンツォ・フェラーリを販売するに当たって、需要調査をしたところ、「350台は確実に売れる」というデータが出たという。しかし、フェラーリでは「需要より1台少なく作れ」という創業者の言い伝えに従って、生産台数を349台に絞った。こうして、供給を絞ったことにより、エンツォ・フェラーリの中古車価格は発売されてからの8年の間に、定価の7500万円を下回ったことはないという。「『作る方も幸せで、買う方も幸せ』という関係が築けていて、非常に面白いと思いました。高飛車であるようで、実は自分たちのブランドの力やお客さんを根本的に守るということを非常に考えている会社です」(奥山氏)。
奥山氏はデザイナーの役割の変化にも言及。かつてのデザイナーはスタイリストとして、企画が練りあがった後に登場して、色や形を決めるだけだったが、今では企業にとっての「医者」の役割に変わっているという。「会社に何か問題がある時に、ちょっと変わった人間として何か意見を出すこと。つまり、診察をして、処方せんを書いて、薬を出して、あるいは大手術が必要な場合は手術をするといったことをする医者という役割になってきた」と奥山氏は語った。
先ほど申し上げたように、デザインには色や形を決めるといったことだけではなくて、3つの機能があると思います。
1つ目は“アイディエーション”、要するにアイデア出しです。ブレインストーミングをしたり、スケッチを描いたりして、アイデアを出し合う最初の段階をアイディエーションと言います。そこで、自分あるいは自分たちが本来持つ能力以上のところまで、創造性を引き出してくれる道具を持つことというのがデザイナー、あるいはすべての人にとっても非常に重要です。
「デザイナーの方ってすごいひらめきがあるんでしょう」とよく言われるのですが、ひらめきで仕事をしているようではプロではなくて、逆にひらめきという意味では素人の人の方がはるかにすばらしいものを持っていらっしゃいます。そうではなくて、同じような仕事を何回やっても新しいアイデアを出していけるような道具を持つこと、探すことこそがアイディエーションの一番重要な部分であると思います。自分が本来持っている能力以上のものを引き出せなくては自分が感激しない、「自分が感動しないもので、他人を感動させることは決してできない」ということが基本だと思っています。
2つ目は“ビジュアライゼーション”、つまり視覚化することです。識字率がこれだけ高くなってきたのはここ200年くらいのことで、それ以前の人間は視覚でものをとらえていて、実は今でもそうだったりします。
よく外部の方が「開発の段階で、デザイナー対エンジニアやデザイナー対ビーンカウンター(会計に携わる人々)といったぶつかり合いがあるんじゃないですか?」とおっしゃるのですが、実は一番問題なのは「エンジニアの中だけでも、矛盾する要素がたくさんある」ということです。
例えば「空力を良くしたい」と言っている一方で、「インテリアのスペースを大きくしたい」と矛盾した主張をしていることがあります。ところがエンジニアの間でも、バラバラの部署で企画書を作っているうちには、それを書いている本人自身が気が付かないこともよくあります。それをすべて1カ所に集めて、視覚的にとらえることによって、瞬く間に書いた本人や開発に関わっている人たちの目の前に矛盾が現れてくるということです。
あえて「今、デザイナーが注目されている」と言いますが、その理由は「矛盾が現れてくるビジュアライゼーションの場が、たまたまデザインスタジオであった」からです。「自分が仕切っているデザインスタジオの中で戦いが起こるわけですから、議長役になるのがデザインディレクターの役割だ」というのが実はここ10年くらいの流れでした。自分のスタジオの中で戦いになっているのを放っておいたら仕事になりませんから、その中で交通整理をする、アイデアを1つ1つ分かりやすく整理していくのが、ビジュアライゼーションにおいてのデザイナーの役割なのです。
3つ目は“コミュニケーション”です。コミュニケーションというと、「一方的な意思の疎通」と勘違いされる方がいらっしゃるのですが、「議論をする」ということです。すなわち、意見を交換して、議論を通して、もともとの意見より高いところまで自分たちを持っていって、決めたものに対しては従う。民主主義もそうなのですが、議論を通して最良の結論を導き出すということがコミュニケーションで、こういったことも全部含めてデザインなんです。
自分たちがまだ気が付いていないものを引き出す、あるいは未来のお客さんたちが感じていらっしゃるもの、まだ生まれていない人たちの情報をいかにして得るかということです。クルマに例えると、今作っている自動車は、まだ免許を取っていない人たちのためにデザインしている側面もあるわけです。そうすると、「聞く相手がいない、(将来免許を取る人に今の時点で)聞いても分からないといった場合に、何が求められているのかという情報をいかにして得るか」ということが重要になってきます。
ピニンファリーナを退社して3年以上も経つと、フェラーリについて話すのはちょっと恥ずかしい感じもするのですが、イタリアでの話をさせてください。
下画像の右側にある写真がエンツォ・フェラーリというクルマです。その開発の中で僕は1000枚以上のデザインを描いたと思うのですが、採用されたデザインが左側の絵です。エンツォ・フェラーリの価格は7500万円したのですが、今でも中古車価格で1億3000万円くらいついていて、7500万円を切ったことは1度もありません。ちなみに僕は持っていません(笑)。ミニカーなら家に3台くらいあるのですが、「自分がデザインしたものだけど、多分一生買えないだろうな」というのは喜んでいいのか、悲しんでいいのか複雑です(笑)。
フェラーリでは、7500万円の限定生産のクルマを10年に1回くらい出します。それを世界中のフェラーリのディーラー、日本だとコーンズに「こういった限定生産の7500万円のクルマがどのくらい売れるか」と聞いたところ、「世界中で350人が間違いなく買いますよ」ということで、(「絶対買います」という)誓約書のようなものもかなり出されてきました。
そこで彼らは、「これからこういったクルマを作ります」と発表会をして、「当社としてはこうしたデータに基づいて、『需要よりも1台少なく作れ』という創業者の言い伝えに従い、349台で生産をやめます」と言ったところ、その10倍以上の3500~4000人が世界中のフェラーリのディーラーにいらっしゃって、価格の20%くらいの保証金を置いていきました。
「誰に売るのか」を決めるために、フェラーリはそのお客さんたちをランク付けしました。12気筒エンジンのフェラーリを2台以上持っている人であるとか、地方の名士であるとか、フェラーリクラブに入っているであるとか最低条件を付けて、ふるい落とした後の400人くらいの上から順に決めていきました。ただ、上の方は簡単なのですが、340番~360番くらいのところが問題になります。そうすると、フェラーリの会長が出てきて、「この人だ」と独断と偏見に基づいて決めます。「フェラーリの会長が決めた」と言うと、お客さんとしては文句が言えないわけですので。
最終的に349人にエンツォ・フェラーリを売ったのですが、フェラーリとしてはその過程で買ってもらった349人以外にも、買えなかった3000人~3500人の非常に優良な顧客リストが手に入ります。実はフェラーリは売らなかった後のケアがすばらしくて、革のバッグなどいろんなものをどんどん送って、「次の時には量産のクルマを買ってください」と絶対に離さないようにしています。
買う方にしてみても、エンツォ・フェラーリは限定生産のクルマで、作ってから8年くらい経った今でも定価より下がっていないわけですから、投機的な意味でも損はしていない。「作る方も幸せで、買う方も幸せ」という関係が築けていて、非常に面白いなと思いました。「高飛車であるようで、実は自分たちのブランドの力やお客さんを根本的に守るということを非常に考えている会社だ」という気がしました。
そして、フェラーリがF1を60年以上続けているモデナ地方の中小企業だというところでも、非常に考えさせられました。「たかだか3000人ほどの従業員しかいないフェラーリが、これだけのインパクトを持って世界中にいろんな情報を発信しているというのは面白いな」と思ったのです。
ハードとしては大したことないんです(笑)。サーキットで走ったら、日産やホンダのスポーツカーの方がよっぽど速いですし、ハードとしても、設計理念からしても、日本車の方が優れているところはあるんです。スポーツカーとしては、実はポルシェの方がフェラーリよりもっとすばらしい。僕もポルシェには2年半ほどいましたが、非常にすばらしいスポーツカー会社で、あのクルマをあの値段で作るというのは本当に驚くべきことです。
もちろん、フェラーリもすばらしいのですが、ほかよりそれほど優れているわけではありません。ただ彼らのすばらしいところは、その物語作りと顧客層を巻き込んだ1つのソサエティを作ることが非常に上手であるという点です。実は日本が一番足りないところは物語作りというところで、僕らはどうしても今まで(自動車作りの手本として)ドイツを見ていたのですが、イタリアが今までやってきたことで日本が学べることの1つとして、それがあるのではないかなと思いました。
モデナ地方と申しましたが、フェラーリはそうした土地で今までずっと作ってきて、これからも作っていくということが都市文化と密接に結びついています。イタリアは地方によって明確な産業があるのが特徴で、家具産業のミラノ、自動車産業のトリノ、ファッションのフィレンツェ、機械産業のボローニャというようになっています。これは日本も同じなので、「なぜ日本はイタリアほどのブランド力を作れないのか?」といった疑問が浮かんでくるわけです。
よく考えてみると、日本は2度の世界大戦を経て、あるいはその前の明治維新で過去の文化を捨てて急速に育ってきた、先進国の中でここまで成長した国はありません。人も過去を捨てている。僕は子どものころ、父親は仕事で忙しくて、ほとんど会ったことはありませんでした。
そうすると、自分たちの過去に何らかの犠牲を持ちながら、ここまで社会が育ってきた中、過去を持つブランドに郷愁を感じるのは極めて当たり前のことだろうと思うのです。だとすると、僕らが今まで育ててこなかった過去というのが、実は日本が今までおざなりにしていた1つの要素なのではないか。欧州のビジネスはそれが非常に上手であると気付きました。
言い換えると、「お金で未来は買える。現在は買える。でも過去は買えない」。ですから、日本人がわらをもつかむような気持ちで過去を持つブランドを買うというのは、これは至極自然なことであると思うのです。それをたまたま日本が作ってこなかった。フランスが作ってきた、イタリアが作ってきたからそれを買うというのは、ごく当たり前のことであると思っています。ですから、特に欧州に住んでいた時、「なぜ日本はそういったすばらしい過去を持つブランドをもっと育てられないのかな」と強く思いました。
エンツォ・フェラーリをデザインする時に描いたもう1つのスケッチが下画像の右上の絵です。このスケッチをベースに、右下の写真のようにエンツォ・フェラーリの模型を作りました。クルマの模型は世界中どこでもクレイ(粘土)を使って作るのですが、トリノでだけはエポウッドという、硬化剤を混ぜると固くなって木のような特性を持つ素材を使って、のみとのこぎりとかんなとサンドペーパーで作ります。
粘土は彫塑(ちょうそ)で、盛ったり削ったり自由にできるので、それを何回も繰り返して作ります。ですから、日本のクルマに粘土の色を塗って外に置けば分かるのですが、鉄板やプラスチックではなく粘土の形をしています。粘土を使って造形すると、自然と粘土の特性が出てしまうのです。「なぜイタリアのクルマは面に緊張感があって、遠目で見てプロポーションがきれいか」というと、実は小細工ができないような道具をある意味でわざと使っているからなんです。
エポウッドで模型を作るに当たっては、硬化剤を混ぜても4時間くらいは固くならないので、前日に混ぜて帰って、次の日に削って作るんです。すなわち彫刻なんですね。レオナルド・ダ・ヴィンチのころから大理石を削ってものを作ってきたイタリアだからこそまだ職人がいて、大理石の彫刻を作るのと同じような感覚で今、職人たちがクルマの模型を作っているということは非常にすばらしいと思いました。世界中でトリノしかこの職人はいません。
そうやってものを作ると、形は非常にきれいですし、仕事は早いしということで、「世界中の自動車会社がトリノに行って開発を委託するのは当然だろう」と思いました。そのもとになるのが職人さんで、それとCADや機械などの最新鋭の技術が組み合わさって作った結果がイタリアのクルマなんだと思いました。
余談ですが、このスケッチは15分で描きました。普段15分でなんかスケッチは描かないんです。しかし、2年間すったもんだしてきて、なかなかいいものができず、フェラーリの会長からこの日にOKをもらわなかったら、もうこのプロジェクトはキャンセルになるという時のことでした。会長が帰りがけにヘリコプターのエンジンをかけて、「15分やるから絵を描いてこい」とおっしゃったので、スタジオに戻って15分、会長がサンドイッチを食べている間に描いたのがこのスケッチなんです。
何を言いたいかというと、「プロとアマチュアの違いというのは、人生のうちで1度訪れるか訪れないか分からない15分のために準備をするのがプロ、準備をしないのがアマチュアということに尽きる」ということです。
実は僕はそれまでに提案していたエンツォ・フェラーリのデザインは好きではなかったんです。いろんな人が入ってきて、いろんなことを言ってきたので、「良くないなあ」と思っていました。そこで、もし選ばれなかった時のために2~3枚用意していたうちの1枚を取り出して、15分で赤い色を塗って、帰りかけていたフェラーリのモンテゼーモロ会長に見せたのがこの絵だったんです。ですから、「人生というのは15分のためにどれだけ準備できるかだな」と思っているのです。
下のリンクから、画像入りの記事を読めます。
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