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夜中に「デザインの力」についてスタッフに懇々と語った、一方的に。
デザインする力量の話じゃなくて、デザインてものが持ってる力について。
どちらかというと、「視覚的な意味」においての話。
「用・強・美」にわけて言うところの「美」の話。
もっと言えば、「用・強」に対しての「美」の話。
デザインに力なんて果たしてあるのか。
デザインの力は強いのか。
カスタマーにとっての、デザインの力の意味とは。
デザイナーとして、デザインの力をどう取り扱うか。
とか、いろいろ。
当然、デザインの力を信じてるというか確信をしてるから、
僕はそれを生業にしているわけだし、
デザインが力を持ってるのはある意味当たり前のことではあるんだけど、
いざそれを人に伝えようとすると、なかなか難しい。
定量化できるものじゃないし、
時間をかけて懇々と言葉にしたのはもしかしたら初めてかもしれない。
昔から日常的に考えてることではあるし、
考える中での発見は常に蓄積してきている。
デザインする立場にある人にとってはそれこそがライフワークだとも言えるし。
でもそれをはっきりと自分の中で言語化する作業は、
特にはしてなかったかもしれない。
言語化するまでもない、という無意識があるからなのかな。
だけど、自分でもビックリするくらい、
言葉が山ほど、弾幕のように出てきた。
よくもこんだけぺらぺらと出てくるもんだと、感心した。
必要に迫られて言語化したわけだけど、
言語化されたことで初めて白日のもとに晒された自分の考えを、
そうやって改めてちょっと客観的に眺めてみるのは、なかなか新鮮だった。
別に自分の考えが斬新だとかそういうことじゃなく、
病院で自分のレントゲン写真を見るような感覚。
うわ、おれのここ、こうなってたんだー、ていうような。
だから何だかとても楽しかったし、
自己発見にもなって、有意義だった。
議論の論点は、
施主のお金で建てる建築に対して、設計者として、
「美」のプライオリティの置き所をどう判断するか、どう取扱うか、
てところで、解は建築の数だけ、無数にあるわけだけど。
日記だなこれ。
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無題
面白そうな話題だね。
俺も常ずね、デザインっていうのは、それ自体には資源(材料)がいらない特異な仕事だと思っている。
作曲や執筆と同じで。
だからこそ、資源の乏しいデンマークなんかではそれに力を注いで家具界で突出したそんざいになった。
すごい可能性を秘めた分野だと思ってるよ。
でも、それを金額に換算して伝えるのって、難しいよね、、、、。
俺も常ずね、デザインっていうのは、それ自体には資源(材料)がいらない特異な仕事だと思っている。
作曲や執筆と同じで。
だからこそ、資源の乏しいデンマークなんかではそれに力を注いで家具界で突出したそんざいになった。
すごい可能性を秘めた分野だと思ってるよ。
でも、それを金額に換算して伝えるのって、難しいよね、、、、。
無題
お金に換算できないものに対する評価は難しい。
なのに、お金にできないもので評価をしていることのほうが多かったりして。
デザインと同じで、
「計画」(まあ、ある意味プロセスのデザインなのだけど)への発注者の理解はなかなか得られにくいよね。日々奮闘中だよ。
なのに、お金にできないもので評価をしていることのほうが多かったりして。
デザインと同じで、
「計画」(まあ、ある意味プロセスのデザインなのだけど)への発注者の理解はなかなか得られにくいよね。日々奮闘中だよ。