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先週末は諏訪大社御柱祭に参戦するため、長野へ。
いやー、すごいお祭りだった。
僕たちがつくった木桟敷についてはまた後日。
今日は祭りの賑わいと迫力の木落しを。
16本の御柱は、各地域がそれぞれ受け持ちます。
受け持った御柱をきれいに落とすことが、その地域の使命。
御柱の頭とお尻にはV字の角が刺してあり、ここに氏子がたくさん乗ってます。
両端からバランスよく引っ張っていないと、倒れてしまう。
倒さずにまっすぐ下まで滑ることが、「きれいに落とす」てことなんです。

下から綱を引っ張る男たち。

斜面の脇には、応援団が。

そして木落し坂の下にはこの人だかり。
この何万の人が、落ちてくる御柱を見守っています。

御柱がきれいに下りてきた時の盛り上がりはすごい。
氏子達は興奮して叫んでいるし、観客も「おーーっ!!」と拍手喝采。
この一体感はちょっと涙が出ます。

このあと御柱は2キロ程離れた川まで曳かれて行き、そして川を渡ります。
ざぶんと冷たい川に入り、、、

向こう岸から引っぱりあげます。

ここまでが御柱祭りの前半戦。
一ヶ月後の後半戦では、御柱が諏訪大社に向かって街中を練り歩き、
境内に掘立てられて、木から神に変わるのです。
このお祭り、実際に体感して思ったのは、
神様と人が近いということ。
丸太に神を見るのは日本のアニミズムの典型だけど、
モミの大木が神になるまでの過程を、諏訪地方が全力で祭り上げ、
そこに住む人や観客がそれこそ一体になって盛り上がる。
礼拝や聖書が西洋における神と人を繋ぐものだとすれば、
日本の場合はお祭りなんだろうな。
初詣も日本人にとってはお祭り。
そして日本人は本能的に、お祭りを通して神(=森羅万象)と繋がることを求めてるんだろうな。
なんだかしみじみ、
「あー、いいなーこういうの。」と思った。
特急あずさに乗ってビールを飲んでウトウト帰るのは、なかなか幸せだった。
で、あずさの車内は、そんな僕と同じような老若男女でいっぱいだった。
いやー、すごいお祭りだった。
僕たちがつくった木桟敷についてはまた後日。
今日は祭りの賑わいと迫力の木落しを。
16本の御柱は、各地域がそれぞれ受け持ちます。
受け持った御柱をきれいに落とすことが、その地域の使命。
御柱の頭とお尻にはV字の角が刺してあり、ここに氏子がたくさん乗ってます。
両端からバランスよく引っ張っていないと、倒れてしまう。
倒さずにまっすぐ下まで滑ることが、「きれいに落とす」てことなんです。
下から綱を引っ張る男たち。
斜面の脇には、応援団が。
そして木落し坂の下にはこの人だかり。
この何万の人が、落ちてくる御柱を見守っています。
御柱がきれいに下りてきた時の盛り上がりはすごい。
氏子達は興奮して叫んでいるし、観客も「おーーっ!!」と拍手喝采。
この一体感はちょっと涙が出ます。
このあと御柱は2キロ程離れた川まで曳かれて行き、そして川を渡ります。
ざぶんと冷たい川に入り、、、
向こう岸から引っぱりあげます。
ここまでが御柱祭りの前半戦。
一ヶ月後の後半戦では、御柱が諏訪大社に向かって街中を練り歩き、
境内に掘立てられて、木から神に変わるのです。
このお祭り、実際に体感して思ったのは、
神様と人が近いということ。
丸太に神を見るのは日本のアニミズムの典型だけど、
モミの大木が神になるまでの過程を、諏訪地方が全力で祭り上げ、
そこに住む人や観客がそれこそ一体になって盛り上がる。
礼拝や聖書が西洋における神と人を繋ぐものだとすれば、
日本の場合はお祭りなんだろうな。
初詣も日本人にとってはお祭り。
そして日本人は本能的に、お祭りを通して神(=森羅万象)と繋がることを求めてるんだろうな。
なんだかしみじみ、
「あー、いいなーこういうの。」と思った。
特急あずさに乗ってビールを飲んでウトウト帰るのは、なかなか幸せだった。
で、あずさの車内は、そんな僕と同じような老若男女でいっぱいだった。
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先週末は御柱祭に参戦するため長野県は茅野市へ。
お祭りの様子は後日アップするために写真を整理中。
お祭りの夜は茅野市に隣接する原村に住む友人の家に泊めてもらった。
ハーバルノートで働く彼女に、おいしいご飯と日本酒をごちそうになり、
マッサージをしてもらい、なんだかとてもゆったりした夜を過ごして、
しかも翌朝お菓子をお土産に持たせてくれた。
で、そのお菓子が、すっごくおいしかった。初めて食べるお菓子。
袋のタグを見ると、
名称:コンフィズリー
品名:プラリーヌ
って書いてある。
どっちも聞き慣れなくて、どっちがこのお菓子を表してるのかわからない。
アーモンドと水飴とチョコレートが砕けて一口サイズに固まってて、カリカリしてて、
んー、どう表現したらいいかわからない。
とにかくすごくおいしい。
パティスリー ロントっていう小布施のお店のものらしいけど、
東京でもこのお菓子、買えるのかなあ。
あっという間に食べきってしまった。
お祭りの様子は後日アップするために写真を整理中。
お祭りの夜は茅野市に隣接する原村に住む友人の家に泊めてもらった。
ハーバルノートで働く彼女に、おいしいご飯と日本酒をごちそうになり、
マッサージをしてもらい、なんだかとてもゆったりした夜を過ごして、
しかも翌朝お菓子をお土産に持たせてくれた。
で、そのお菓子が、すっごくおいしかった。初めて食べるお菓子。
袋のタグを見ると、
名称:コンフィズリー
品名:プラリーヌ
って書いてある。
どっちも聞き慣れなくて、どっちがこのお菓子を表してるのかわからない。
アーモンドと水飴とチョコレートが砕けて一口サイズに固まってて、カリカリしてて、
んー、どう表現したらいいかわからない。
とにかくすごくおいしい。
パティスリー ロントっていう小布施のお店のものらしいけど、
東京でもこのお菓子、買えるのかなあ。
あっという間に食べきってしまった。
James D. Griffioen というフォトグラファーのferal housesというシリーズ。
野生化した家。
以前、アメリカの廃屋写真集をここで紹介しました。
それと比べると、こっちはきっと周辺一帯こういう光景になってて、
集落ごと埋没してる感。
他のページもなかなかステキ。
先日読んだ松岡正剛の本の中に、バーナード・ルドフスキーが来日した際の話があった。
彼は日本の廃屋に感銘を受けたそう。
日本の廃屋は、他国のそれと全く違うと。
「住んでいた人の息づかいが、家のすみずみに残っている。
空間が気配に満たされている。」と。
調べていたら、その時のことがここにも書かれてた。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0486.html
『キモノ・マインド』はそういえば未読だった。読まなきゃ。
松浦弥太郎さんの新しい本。『あたらしいあたりまえ。』
松浦さんの本は好きで、以前にもここで紹介した。
毎日のくらしの中で、あたりまえにしていることを見直したり、
あたらしいあたりまえをつくったり、してみようよっていうテーマ。
松浦さんが見つけた「あたらしいあたりまえ」がたくさん書かれています。
その中からいくつか、僕も意識していること、なるほどなって思ったものを。。。
・面倒くさいことの中にこそ、楽しさがある。
例えば料理の一手間、一駅分歩いてみる、などなど。
・2つの選択肢に悩んだら、しんどい方を選んでみる。
・手で触れる。例えば握手。握手した時の感触って、ぜったい忘れない。
・ゆっくり歩く。それだけで、時間がゆっくり流れる。
・「いま自分は穏やかか」っていつも自分に問いかけてみる。
特に最後の。
僕は常に穏やかでいたいと思ってるんだけど、一日の中で何度も問いかけてみると、
「いいえ、いま穏やかじゃありません」ってことの方が圧倒的に多い。
でもそれに気付くと、「いかんいかん、まあまあ」と穏やかになれる。
松浦さんの語ることはいつも、質素でていねいで穏やかな反面、
くらしというものに対してとてもストイックで厳格なところがある。
この本はいつにも増してストイックなムードが感じられて、
そういう点ではあまりしっくりこなかった。
下の写真は、
宮崎土産にもらった「肉巻きおにぎり」。
ごはんにも肉のダシが染み込んでて、おいしかった。
その横は、京都の自分土産、村上重のお漬け物。
僕が住む荻窪の街には、商店街がいくつもある。
今も活気があるものもあるし、かつては賑わってたけど今は名前だけ、って通りもある。
その中で,僕がいつも通る『教会通り』という通りはとても魅力的。
何十年も前からやってるクリーニング屋さんや、昔ながらの肉屋さんや、
最近有名なハチミツ屋さんや、オープンしたての餃子屋さんや、
新旧入り乱れ、色んな業種が混在。
で、今日気付いたのが、その教会通りの、
小さな喫茶店の店先の、畳1/3程の植え込みに、桜の木がある。
満開。
たったそれだけのスペースに、満開の桜があって、
その前を行き交う人々を、春の平和な気分にさせている。
植え込みのサイズには似つかわしくない大きさの桜。
きっとこの喫茶店のマスターが、お店をオープンした頃に植えたんだろうな。
8年住んでて、今まで気付かなかった。
大した話じゃないんだけど、
いつも通る商店街の小さなスペースに実は桜があって、
春先のこの時期だけ賑やかに花を咲かせて、
通りの人達をさりげなくいい気分にしてる、
いいなーと思って。
今も活気があるものもあるし、かつては賑わってたけど今は名前だけ、って通りもある。
その中で,僕がいつも通る『教会通り』という通りはとても魅力的。
何十年も前からやってるクリーニング屋さんや、昔ながらの肉屋さんや、
最近有名なハチミツ屋さんや、オープンしたての餃子屋さんや、
新旧入り乱れ、色んな業種が混在。
で、今日気付いたのが、その教会通りの、
小さな喫茶店の店先の、畳1/3程の植え込みに、桜の木がある。
満開。
たったそれだけのスペースに、満開の桜があって、
その前を行き交う人々を、春の平和な気分にさせている。
植え込みのサイズには似つかわしくない大きさの桜。
きっとこの喫茶店のマスターが、お店をオープンした頃に植えたんだろうな。
8年住んでて、今まで気付かなかった。
大した話じゃないんだけど、
いつも通る商店街の小さなスペースに実は桜があって、
春先のこの時期だけ賑やかに花を咲かせて、
通りの人達をさりげなくいい気分にしてる、
いいなーと思って。
ほぼ完成しました。
御柱祭は、木のお祭りです。
山から長さ17m、直径1m、重さ10tの大木を切り出し、
人力だけで諏訪大社社殿まで運んで打ち立てる、勇壮な祭りです。
その行程の中でも最も迫力のある木落し。
その桟敷席を、僕らは丸太そのままの姿で作りました。
場所は木落し坂の真下です。
カラマツの間伐材を祭りと同じように山から切り出し、
皮がついたまま、傘形のユニットを作って地面に立てました。
ユニットの数は18。一本の木から、一つのユニットを作っています。
山にあった時に木が持っていたアイデンティティをできるだけ活かすために。
だから、細い姿で立っていた木は、小さいユニットに、
太くてゴツい木は、大きなユニットになっています。
色や木肌も、ユニットごとに違う。
勇壮で豪快で無骨なこのお祭りに深いところで通じるような、
そういう桟敷席を作りました。
当日までに、手摺や階段をつけ、親柱の頂部を切り落として完成です。
斜面を駆け下りてくる大木と対峙した時に、この桟敷席がどう見えるか、楽しみ。
信濃毎日新聞に紹介されました。
http://www.shinmai.co.jp/news/20100313/KT100312SJI090010000022.htm
4/2(金)、3(土)、4(日)の木落しの様子は、こちらからライブ配信されます。
http://www.lcv.jp/onbasira/douga/index.html