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この連休は京都へ。
大学の、と言っても、東京で知り合って間もない友人の結婚パーティー。
いかにも精華大っぽい、祭みたいなパーティーで、とても楽しかった。
大きくない大学だったので、そんなに仲良くなくても顔はお互い知ってたりする。
「おー!久しぶり!」「おー、おー。」
「えーと、誰やったっけ?」「え?誰やったっけ?」
「おれ○○」「おれ××」
「あー、知らんわ」「おれもやわ」
「まあ飲もうや」
そんなのが何度も。
夜は新郎新婦交えて、友人の家で四次会。
版画家の彼は、自宅を何年にもわたって住みながらリノベーションしている。
セルフビルドで。
この家がすばらしかった。
彼のおもう気持ちよさと機能美に溢れていて、
作品を刷るでっかい機械がどーんとあって。
友人をよく招く家らしく、とてもおおらか。
いい意味でそっけない。
何かと不便なところはあるだろうけど、
とても健全で等身大で、家の一つのあるべき姿だと思う。
そんな家を、じっくり愛情たっぷりに案内してくれた。
こういう家と人に触れると、
建築家の職能について考えさせられる。いい意味で。
そもそも不思議な縁で新婦と出会って、
それが繋がって広がった連休だった。
写真は、パーティーの翌日、北大路ビブレ近くのスタバで。
京都は桜が咲き始めていた。
春が来る雰囲気を京都で味わうのは、久しぶりで懐かしい感じだった。
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15年近く使った炊飯器が壊れたので、
飯炊釜ってものを買った。
以前田園調布のギャラリーで見かけてずっと気になっていたもの。
おいしくごはんを炊くために生まれた土鍋。
とにかくごはんがすごくおいしく炊ける。
使い方もざっくりしていて、
10分ひたすら強火→火からおろして20分待つ。これだけ。
保温もないしタイマーもないし、
最近の炊飯器みたいに色んな料理ができちゃう機能ももちろん無い。
だけど、おいしくて、楽しくて、大切にしたくなる。
で、モノとして美しい。
良く思うことだけど、
○○するための道具、っていうのは美しい。
万能な道具ではなくて。
○○が具体的なほどいい。
ご飯を炊くための土鍋。
魚を捌くための包丁。
僕が好きな働く車もそう。
車で言うとレース車もそう。
職人の道具はその最たるもので、
同じ木を彫るにしても、彫り方や木の種類によって何十種類もの彫刻刀を使い分ける。
左官屋は、塗るものや塗り方に応じて何十種類ものコテを使い分ける。
やっぱりそういう道具は、
先っぽのアタッチメントを替えれば何でもできますよという道具より、
美しいし大切に手入れされる。
ごはんをおいしく炊くための土鍋を使ってると、
米を火でごはんにしている実感があるし、
次においしいごはんを食べるために、洗って乾かして手を入れてる実感があるのだ。
写真は、僕は飯炊釜を買ったギャラリー「いちょう」のHPから。
http://www.ichou-jp.com/index.html
twitterです。
登録はだいぶ前にしてたんですが、
やっと使い方がわかってきましたよ。
少しずつ面白くなってきましたよ。
IDはterayuma、本名も登録してます。
みなさんどんどんフォローミー。
今日のおつまみは、
白菜の煮浸し。白菜だけ。
かつおと干し椎茸の出汁に、しょうがと桜海老を入れて。
白菜だけでシンプルにおいしい。ていうより冷蔵庫に白菜しかなかった。
『民藝とは何か』柳宗悦
この本、書かれたのは昭和16年です。
それを思いながら読むと、描かれる状況や筆者の危機感が、
今とそんなに変わらないことにびっくりする。
「民芸」って言葉、実はこの人がつくったものなんですね。
高級で貴族趣味の芸術品ではなくて、
民の芸術、ありふれた日用品にこそ真の美がある、と。
そこにもっとみなさん気付きなさいよ、と。
柳宗悦らの民芸運動は、
大きくは19世紀末ウィリアム・モリスの「アーツアンドクラフツ」の流れの先にある。
だけど、アーツアンドクラフツが
「粗悪な大量生産品から職人手作りの工芸品へ」という運動だったのに対して、
民芸運動は、「上流階級が楽しむ美術品から民衆の日用品へ」というものだった。
再評価の対象になったものは、ほんと農家が普段ごはん食べてるお茶碗だったりするわけです。
そのお茶碗は、地元の土でつくられ、名も無い窯で焼かれ、特別でもない絵が描かれ、
そしてガンガン使われる。
そういうものこそ、風土や文化や価値観の表徴だと。
当時の状況はわからないけど、
「民芸」という言葉がここまで一般化したということは、この運動は浸透したのかな。
この本を読んですぐ、ナガオカケンメイを思い出した。
「NIPPON VISION」のプロジェクトなど。
ただこれは、あくまで売り場の視点に立っていて、
地方のロングライフなモノをあるべき形で評価して売って使ってもらって、というもの。
ナガオカケンメイは個人的に大好きでここでは語れないのでまた別のところで。
だけど、ロングライフデザインを正当に評価するということを、
結局日本は民芸運動から70年経ってもできてなかったんだな。
敗戦からの復興という余裕のない状況では、そういう視点の獲得は無理だったのかもしれない。
読み物としては、終始同じ事を熱く語ってるので面白くはないけど、
こういう視点をビシッと持ちたい人にはオススメです。
虫が飛び始めました。ももや梅も、早咲きの桜も、咲いてます。
春だなー。